日々是放蕩 ~ある遊女の体験記~

日本に生息する売春婦がお仕事セックスやプライベートのセックスを書き綴ります。

吾泣き濡れて

3日前の晩まで私が悲願としていた、少なくとも今年4月くらいの時点まで悲願としてきたことに「セックスで泣く」ということがあった。

快感や苦痛や羞恥や屈辱で涙するということはこの上なき法悦であろうし、自分の中の苦く固いものがほろほろと溶けて洗い流される気がした。

と、いうのは変な話で今現在特に辛い思いをしていることはなく、遊び暮らして殆ど稼がず、カネが足りなくなると親にせびって数日後にはハプニングバーに行って乱交(正確には私一人対男性多数の輪姦なのだが)をする低落という極めてストレスフリーな人生を歩んできているのである。

 

しかし人間の欲望というのは底知れぬもので、今年3月に性感が目覚めてからというもの、どんどん普通のセックスで得られる快感では物足りなくなり、前述のハプバーも「輪姦されて自我が崩壊し、泣く」ことを目的として行ったのだが、そんなレイピストたちが集うところでもなくみな紳士で泣けなかったし、欲求不満が解消されてお肌がツヤツヤになるというありさまだった。

 

ところが。

 

この前の17日の夜、胸元に大きくスリットが入り私のGカップがほぼはみ出たワンピースにトレンチコートを羽織り、顧客の**さんの車に乗せられホテルに向かった私を待ち受けていたものは...

 

(煽りが過ぎた)

 

いや、普通のラブホテルで、談笑しながら「ファンデーションがつくから」と**さんを全裸にし、自分は件のワンピースでという客さん曰く「かなりの羞恥プレイ」な姿で、何故か「汚いから」というのではなく「恥ずかしいから」という理由で頑なに拒む足舐めを無理矢理して**さんを羞恥で顔を覆わせ文字通り身悶えさせるなどS性も大いに満たされたところで挿入に至ったのだが。

 

**さんは照れ屋さんということからもわかるように本来受け身な人なのである。それが何回も会ううちにどんどん私の求めるものを毎回右肩上がりに与えてくれるようになっていくのである。嬉しいが、申し訳ない。

特に私が正常位で両腿や両足首を両手で掴まれて奥に当たるピストンをされるのが好きと知ってからはそれをしてくれるようになったし、しかしそれでも前回は挿入したまま騎乗位で私に上体を倒させ、身体を密着させて抱き合ったりした(そういうのがお好きな人なのである)。

ところが、その夜はそんなインターバルもなく、ひたすら奥をピストンするし、長いから痛くて気持ち良くて最高なのである。痛みが快感を打ち消すのではなく増幅させる感じなのである。痛ければ痛いほど脳に閃光が走るように意識が飛び筆舌に尽くせぬ快感なのである。そしてやめて言ってもやめてくれないのである。もう最高である。勿論それが私を悦ばせるやり方だと思っているからわざとやめないでくれるのだ。今までほかの客さんに奥を突かれて痛いと言ってやめられる度に不完全燃焼だったから嬉しかったし、全然Sじゃないのに合わせてくれるのがありがたく申し訳なかった。

だから後背位に変えた時はより深く突かれてもっと痛かったし、比例して気持ち良かったし、後ろから「犯される」という情けない気持ちと、凌辱感と、以前私の感じている顔が見たいから正常位がいいと言っていたのに後背位で手酷いピストンをしてくれるのがありがたく申し訳なく、そして嬉しくて嗚咽しながら泣いてしまった。

そして**さんはそんな私を「かわいい、かわいい」と言ってくれた。

泣く顔を見せたかった。どれだけ感涙を流しているか知らしめたかった。

でも正常位より後背位のほうが性的にはいいのだ。

 

そんな感じで(でも正常位もしつつ)とんでもなく長い時間ピストンされて、私はそんなにも自分を性的に求めてくれるのはとても嬉しいし(冷めた目で見れば単なる遅漏なのだが)感動してしまった。

私は自己承認しているし、自分の価値には性的にも本質的にも疑いを持ったことは無いが、それとは別に長く求められるのはとても嬉しいことだ。し、粘膜がヒリヒリするくらいまでやられないと満足しないのである。

 

でもなかなか終わらないので手でしていると「入れたくなった」と言ってくださったので以前は手で終わることが多かったのでとても意外だったし嬉しかった。

 

最終的には挿入でフィニシュした。

私がコンドームの中の精液を胸にかけてと言ったら鼻白んだのか羞恥なのか微妙な反応をされたのと、私も、そういうことは倦怠期(になるまで定期的に会えるのだろうか?)になった時に刺激剤としてすることだと思い筒の中の匂いを嗅ぐに留めた。

 

次の日は子宮が痛くて辛くて最高だったし(私のボキャブラリーの頂点に位置するのが「最高」なのだ)、前日の苦痛と快感と感謝と申し訳なさと感動で頭が混乱して情動失禁を起こしずっと泣いていた。

このエピソードには私の主観が大いに入っているに違いなく、**さんにしてみればまた違ったことを考え思い、したりしていなかったりするだろう。

「私のためにこうこうしてくれた」というのは私の主観であるかも知れず、その意味でこれは私の主観の「物語」である。